子どもたちにピアノを教えたり、中学生の通信教育の添削をしたりしながら、絵に描いたような専業主婦としての生活を楽しむうちに、「仕事をしたい」という煮詰まったような焦燥感が消えていきました。「ベビーシッターが育む21世紀」中舘慈子著 から。
子どもはすごい発想をする
関西の都市に引っ越してしばらく経った頃、近所のお母さまたちの要望で私は子どもたちにピアノを教えることになりました。もともとは自分の娘たちに教えていただけの『ピアノの時間』が、アッという間に集まった生徒さんのおかげで『ピアノ教室』に変身してしまったのです。
とはいっても、私はピアノの専門家ではないので、技術的なことよりも、音楽の楽しさを教えることに重点をおきました。十数人の生徒さんのうち半数以上を占めたのが男の子。普段は跳んだり跳ねたりとワンパク盛りの彼らですが、この時ばかりは楽しそうに鍵盤を叩いていました。
時に子どもは、すごい発想をします。ある時、ふざけていてピアノの前になかなか座らない男の子を叱りました。するとその子は突然、楽譜の後ろから弾き始めたのです。♪ソソミソララソミミレレド♪という曲なら、ドレレミミ・・・・・・、という具合。枠にとらわれない子どもだからこそできた妙技! あっけにとられながらも、その発想、遊び心に思わず脱帽したくなるほどでした。
子どもから学ぶことは数知れません。ピアノを教える反面、私は彼らから様々なことを教えてもらいました。それを楽しみながらこの仕事をしていたような気がします。これが結婚してから初めてした子どもに関する仕事だったのです。
絵に描いたような専業主婦の日々
その後、中学生の通信教育の先生もしました。ペンを通して、受験の悩みを訴える子どもたちと触れ合うことができました。その頃流行っていた丸文字から、世の中の流れを感じることもできました。私自身、社会に参加しているように感じたのも事実です。
娘たちにおそろいの服を縫い、パンやケーキを焼き、プランターに花を咲かせる。午後の一、二時間を仕事タイムにして、休日は子どもたちと遊びに出掛ける。まさに絵に描いたような専業主婦の生活は続いていたのです。
あの煮詰まった気持ち、焦燥感は幻のように消え去っていました。娘たちが小学生になり、対等に会話を楽しめるようになったからかもしれません。私自身の交友関係も広がったからかもしれません。いずれにせよ、至福の喜びに浸っていたのには違いないのですから。
しかし、今思えば私自身、気付いていなかっただけのこと。
「社会に出て仕事がしたい」・・・・・という仕事にたいする思いは、心の奥底に休火山のように眠っていたに過ぎなかったということに。
「ベビーシッターが育む21世紀」 著者 中舘慈子 出版社 悠飛社 より
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