子どもにとっての安全基地② ~網野武博先生の「保育マインド」から⑤~

07-28-2021

安全基地から引き離されること

さて、保育が必要とされる状況は、子どもにとって多くの場合、その安全基地から引き離されることです。月齢や年齢によって、また愛着の程度によっても異なりますが、例えば保育所にはじめて入所することになった乳幼児が、母親から引き離されるときにもたらされる不安感とパニックは、悲痛な叫び、悲鳴にも近い叫びとなってあらわれることはよくみられる光景です。それが数日の場合もあれば、激しい不安が一か月以上も続く場合があります。子どもは遅かれ早かれ、安全基地を奪われるのは限られた時間であることを理解しはじめますが、しかしその反応はさまざまです。

あるある! 保育補助のお仕事をしていると、すんなり入ってきてしばらくして母親がいないことに気づいて大泣きをして泣き止まないお子さま、何か月たっても入り口からお部屋に入ろうとしなくて、涙と鼻水で水たまりを作るお子さま、色々います。(ベビー&キッズシッター Y.K)

子どもが不安感とパニックに陥っているときに発揮される専門性とは

このような状況が、保育者の専門性がまさに発揮される一つの場面です。

それは母親に代わりうる安全基地というよりも、子どもにとっては高波に溺れるかとさえ思わせる状況をさざ波に変え、さらに凪のように思わせ、その子が安堵と安らぎをもって身を寄せてこられるような港と実感させることのできる専門性、そしてその場においてマターニシティを伴った相互作用と「ケア」をもたらしてくれると実感させることのできる専門性です。

安全基地から離れることって子どもにとっては高波に溺れたような怖い状況なんですね。「ケア」されているってお子さまが感じられるような働きかけをすることが大切!保育者がここで、「どうしよう・・・!」とおろおろするとお子さまは余計不安になります。
こんなときはお子さまの悲しい気持ちを「悲しいのね。ママが大好きなのね。ママは必ずお迎えに来るからね。」と受け止めながら、「大丈夫よ。私が守ってあげるからね。」と、静かに語り続けていると、いつかお子さまも落ち着いてきます。一人一人のお子さまによってそれまでの様子は様々ですけれど・・・。(ベビー&キッズシッター Y.K)

ベビーシッターに求められるマインドとは?

ベビーシッターは、保育所や保育施設などのような集団保育の場とは異なり、通常は子どもの自宅を訪問して、おおよそ1対1の個別的保育を行うところに特徴があります。したがって、子どもの家族が不在となる状況、家族が共にいる状況など、集団保育とは非常に異なるなかで保育が進められます。

子どもが安全基地から引き離されることによる反応も、自宅のなかであるという相違があります。つまり、家庭から離れた保育施設と異なり、間接的な安全基地のもとで子どもが過ごしていることは、より個別的な個性的な保育が求められることとなります。

特に子どもの月齢や年齢が低いほど間接的な安全基地が継続している環境のなかでのベビーシッティングは第一の安全基地である人に代わりうる穏やかな波に包まれた、心安らぐ基地であることが求められるのです。

確かに、自宅はお子さまにとって安全基地となる場所。
でも、それだけにベビーシッターには、「マターニシティを伴った相互作用と「ケア」をもたらしてくれると実感させること」が必要とされるんですね。
「第一の安全基地に代わりうる心安らぐ存在になる」
それが私たちベビーシッターに求められているマインドなんですね。
次は「育てる」ことと「育つ」ことについてのお話を伺います。とても楽しみにしています。
(ベビー&キッズシッター Y.K)

出典:在宅保育の考え方と実際 改定 ベビーシッター講座Ⅰ理論編(第二版) 2010年

網野先生からコンビスマイルのブログに次のようなメッセージをお寄せいただいています。

保育マインドの涵養は、保育の専門性として非常に大切であると思っていますが、この度このようにブログに掲載していただき、本当に有り難く思っております。なにがしかのお役に立てましたら、大変幸甚な次第です。

網野武博

東京大学教育学部教育心理学科卒 元厚生省児童家庭局児童福祉専門官、元東京経済大学教授・上智大学教授・東京家政大学教授、元公益社団法人全国保育サービス協会会長 など

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