絵にかいたような専業主婦だった筆者は、40歳の声を聴いた時、ある出版社の求人募集を見て、入社試験を受け、幸い合格します。内容は小中学生対象の学習書の執筆、「教育、子ども」に係わる仕事でした。
その後あるきっかけで「ベビーシッター業」と出会います。(「ベビーシッターが育む21世紀」中舘慈子著 より)
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ベビーシッター業と出会う
気が付くと出版社に勤めてから5年の歳月が流れていました。そんな折、母の仕事上の先輩から、日本では老舗のベビーシッター会社へのお誘いを受けたのです。管理職として働いてみないか、と。
「ベビーシッター」は私にとって新分野の仕事です。赤い表紙の日記帳に閉じ込められていた「ベビーシッター」という言葉と再びめぐりあうことになったのです。私の中の好奇心の芽が、どんどん、どんどん伸び始めました。
1988年10月、厚生省主催の「第一回ベビーシッター情報交換会」に出席した私は、目から鱗が落ちるほどの思いをしました。学識経験者はベビーシッター業者の方々がいろいろな角度からベビーシッターの現状や将来についてレクチャーするというものでした。
当時ベビールームなどで事故が起きたりという事件があり、保育園・幼稚園以外での託児保育のあり方を問われていた頃ですが、私は在宅保育サービスについて、何も知識を持っていませんでした。ベビーシッターを会社システムで雇用するなどと言う職種があること自体知らなかったわけです。
ベビーシッターという仕事に将来を託す決意を
「この仕事に自分の将来を託してみようか」
今後の日本の社会には必要不可欠な商売となるのではないかという、私の直観に賭けてみたくなったのです。
こうして私の新しい人生が始まりました。
バブル真っただ中の日本経済の中、たとえ老舗といわれても、企業努力をしなければ取り残されてしまいます。そう思った私はいろいろと新しい試みをしてみました。学ぶこともたくさんあると同時に、自分のやりたいこと、目標もどんどん広がっていきました。
すべてが人間関係で成り立つ仕事
しかし、契約しているベビーシッターさんが4~500人、内部スタッフも十数人いるという会社での中間管理職という立場はなかなか難しいもの。トップの方針に従い、社員を管理するということは、精神的な疲労が常についてまわってきます。
ベビーシッターの派遣先とのトラブルやクレームも頭を痛める問題です。電話を通して「ありがとうございます」「かしこまりました」「申し訳ございませんでした」とお客様相手に話すという新鮮な体験にひどく緊張したことを覚えています。
いわゆるサービス業です。すべてが人間関係で成り立つ仕事なのです。
とんでもなく大変な仕事に就いてしまった! 正直言ってそう思うこともありました。だからと言って投げ出すわけにもいきません。頑張るしかないのです。
心身ともに疲れ果てながら家路に着くと、娘たちが学校の制服も着替えないままで、夕食の支度をしていてくれることもありました。そんな姿を見ると、先ほどまで悩んでいたことや疲れなどもなくなり、力が沸いてきたものです。
「ベビーシッターが育む21世紀」 著者 中舘慈子 出版社 悠飛社 より
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