「ベビーシッターが育む21世紀」中舘慈子著 の中から、起業の思いやベビー&キッズシッターに対する思いを何回かに分けて掲載します。
娘の喃語を記録する日々
私には70年に長女、72年に二女、そして73年に三女が授かりました。
日本海を臨む静かな町で、身近に子育てのアドバイスをしてくれる人もいなかった私は、スポック博士と松田道雄先生の育児書を片手に長女を育て始めました。
「バブバブブァ」「ウーアーウウーッ」
娘の喃語を記録して、それに答える。だんだん言葉らしくなってきます。それは楽しくわくわくするようなことでした。しかし日本語とも外国語ともつかない、言葉にならない言葉のやり取りを、24時間・365日続けることは時としてつらく思うこともありました。
同期の友人が本を出版した。賞をもらった。海外で活躍している。日本を転々としている私の耳にもそんな情報が入ってきます。いつのころからでしょうか、そういう便りに溜息がでるようになったのは。
ああ、社会に出たい!
最初の焦燥感が私を襲ったのは1973年のことでした。
1973年3月✖日 幼児英語教室に行く。ベビーシッターに長女と次女を・・・・・。
この日記を書いた日、私は英語チューター求人募集の説明会に行ったのです。英語チューターとは、幼児や子どもに英語を教える、いわゆる先生です。この広告を見た瞬間、
「ああ、社会に出たい!」
と無性に思ったのです。仕事がしたい、週に3時間でもいいから社会に出て自分の力を生かしてみたい。私はまだ20代半ば、子育てに夢中になればなるほど『働きたい』という気持ちが膨らみました。
そんな思いが私をかき立て、いてもたってもいられなくなり、説明会へと足を運ばせたのです。
子どもたちを預けなければ
しかし、仕事を始めるには、子どもたちを誰かに預けなければなりません。そこでお向かいの奥さんに相談してみました。彼女は三人の子どもを育てているベテランママ、
「二人を預かってあげるから、働いたらいいじゃないの。頑張って!」
嬉しい言葉が返ってきました。私は浮足立った気分になりました。しかし、諸事情が重なり、結局働くことを諦めざるを得ない状況になってしまったのです。
せっかく膨らませた風船から空気が抜けるように、私の身体から力が抜けていきました。
※この時初めて「ベビーシッター」に子どもを預ける経験をしました。しかし、仕事をするために「ベビーシッター」を依頼する、ということは、全く考えられない時代でした。
1986年に男女雇用機会均等法が施行される10年以上前のできごとです。
「ベビーシッターが育む21世紀」 著者 中舘慈子 出版社 悠飛社 より
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