「育てる」ことと「育つ」こと ~網野武博先生の「保育マインド」から⑥~

09-16-2021

網野武博先生の「保育マインド」シリーズ。今回は「育てる」ことと「育つ」ことについてのお話です。
「育てる」と「育つ」の違いって、何でしょうか? 人は「育てる」もの? それとも「育つ」もの? 一緒に考えていきましょう。

「安全基地」は「育てられる」という安心感につながる。そして次の段階に・・・

基本的欲求、情緒的欲求が満たされていると、子どもたち、特に幼児は安心して自分を囲む人間、自然、事物、事象に飽くなき関心と好奇心をもって接近し、探索し、学んでいくことができます。社会のなかでの自分と他者、出来事との関係、そして、自分自身の存在意義を理解し、さまざまな自立の試みを始めます。
それは子どもが「育つ」プロセスにしっかりと歩みこんでいることの証であり、また、それは、第一の安全基地が常に視野になくても、心の中に定着していれば、不安や怯えがなく心安らかに生活できることをも意味しています。
ふと、不安や怯えが生じれば、懐や膝に帰り、「育てられている」ことを実感し、再び「育つ」ことに向かっていく。こうして一人一人の個性や可能性がいっそう発揮されていきます。

「安全基地」が心の中にあれば、子どもはいろいろなものに興味を持って、探索してみよう! という気持ちになれるのですね。これが「育つ」ということでしょうか? 
でも本当に不安になったり怖くなったりしたときは、「安全基地」である人の懐に抱かれ、膝に乗ることで「育てられている」という安心感を持つことができる。そして再び探索してみよう! という「育つ」気持ちになる。
「育てられている」という安心感があって「育つ」力が出てくるということなんですね。
(ベビー&キッズシッター Y.K)

「育つ」ことへの深い認識を持つことが必要

保育の営みは、「育てる」ことだけではなく、この「育つ」ことに対する深い認識を持ち、それを学ぶマインドが求められます。つまり、子ども一人ひとりの関心やニーズに沿って、それを深く肯定しながら導いていくことが、保育者の基本的態度として求められます。

確かに子どもは一人ひとり、関心やニーズは違います。
この子は何に関心があるのかな? 何をしたいのかな? とそれぞれの関心やニーズを理解して、
「そうか。●●が好きなのね」「〇〇したいのね。」と肯定して受け止めることが、まず必要なんですね。
(ベビー&キッズシッター Y.K)

「育てる」ことへのこだわり、「育つ」ことへの無関心が招くこととは?

保育者と親とでは、ややその点でのマインドや態度に異なるものがあるでしょう。民族や文化によっても異なりますが、わが国も場合、親、とりわけ母親の場合には、「ケア」を継続的に営むプロセスを通じて、「ケア」やマターニシティそのものが母子運命的・共同体的色彩を強める傾向があることは否定できません。
つまり、多くの母親は、愛護の経験を深めるにつれ、私なくしてはこの子は育たないという意識が保護的・庇護的傾向を高め、「育てる」ことの喜びや苦しみ、この子の幸せのためになら犠牲になってもいいという思いと、私の思うように育てたいという思いが混交し、子どもが「育っている」ことよりも「育てている」ことに心を向けがちになるきらいがあります。
子どもからの心理的離乳の難しさ、また、いわゆる過保護とか母原病などに見られる人間としての自立を妨げる要素は、このように「育てる」ことへのこだわりのあまり、「育つ」ことへの無関心、軽視をもたらすことと深く結びついています。

マターニシティを伴うケアをすることはなくてはならないことだけど、子どもはいつしか自分で「育つ」力をもつようになるもの。
いつまでも「私がいないとこの子は育たない。」「この子の幸せのためなら、私は何を捨ててもよい。」という親の思いが強くなりすぎると黄色信号! 
しかも、「私はこの子の犠牲になって育てたんだから、私の思うとおりに育ってほしい」となると赤信号! 
親というもの、この兼ね合いが難しいところですね。
ベビー&キッズシッターの場合は、しっかりと子どもの「育つ」力に目を向けられるはず。子どもの自立のサインをしっかりと見極めたいなあと思います。
(ベビー&キッズシッター Y.K)

たとえば、子どもがティッシュペーパーを箱からつまみ出して遊んでいたら?

自らの価値観や主観、そして何よりも弱者に対する強者の感情と論理をもって子どもに対する時、大人の「育てる」意識が子どもの「育つ」意識を凌駕します。

例えば、そこにティッシュペーパーの箱やロールペーパーが置かれていたり、転がっていたとします。
それを見慣れていない幼児にとって、それは心の奥底からわき出る好奇心を抑えがたく刺激する対象なのです。箱やロールを取り上げ、次から次へとティッシュペーパーをつまみ出し、あるいはロールを転がしはじめます。
それはやがて、単純なものから工夫や細工を加えることに発展します。そのあそびは、関心や興味が失せるまで続きます。
多くの場合、その途中で親や保育者の目に止まります。瞬く間にそれは、「いたずら」や「おいた」と受け止められ、取り上げられたりすることに結びつきやすいものです。
いうまでもなく、真に危険にかかわること、人として行ってはいけないこと、もっともその多くは、子どもにとって一度は行ってみたい誘惑にかられるものが大きのですが、それは、しつけとして禁止や制止が必要です。

あるある! 家事をしている間、妙に子どもがおとなしいことがあります。
ふりむくと・・・ティッシュペーパー一箱分、すっかり出してにこにこしていた息子、
トイレットペーパーを床に転がしてカーペットみたいにして満足そうに手をたたいていた娘。
もちろん私が母親だった時は、思わず大声を出して怒って取り上げました! 
でもあれは「育つ」力の萌芽だったのですね。
ベビー&キッズシッターの場合、お客様のお宅のティッシュペーパーやトイレットペーパーをお子さまが出してしまう様子を「よしよし、素晴らしい好奇心! 育つ力が伸びている」と見守るわけにはいきません。
私は、お子さまがそのようなことに興味があることに気づいたときは、似たような手作りおもちゃを持参するようにしています。
(ベビー&キッズシッター Y.K)

出典:在宅保育の考え方と実際 改定 ベビーシッター講座Ⅰ理論編(第二版) 2010年

網野先生からコンビスマイルのブログに次のようなメッセージをお寄せいただいています。

保育マインドの涵養は、保育の専門性として非常に大切であると思っていますが、この度このようにブログに掲載していただき、本当に有り難く思っております。なにがしかのお役に立てましたら、大変幸甚な次第です。

網野武博

東京大学教育学部教育心理学科卒 元厚生省児童家庭局児童福祉専門官、元東京経済大学教授・上智大学教授・東京家政大学教授、元公益社団法人全国保育サービス協会会長 など

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