俵万智さんが3歳のころ、お気に入りの本は「三びきのやぎのがらがらどん」。毎日お母さまに「読んで!」とせがんで、くりかえし読んでいただいたそうです。そして、1年ほど経ったある日、俵万智さんは一言半句まちがえずに「三びきのやぎのがらがらどん」を「読んだ」という逸話があります。これについてはブログの終わりに述べてありますのでご覧ください。
さて、俵さんが息子さんに「三びきのやぎのがらがらどん」を買って読み聞かせてみたら?
(広報担当 Y.N)
三びきのやぎのがらがらどん
絵 マーシャ・ブラウン
訳 せたていじ
出版社 福音館書店
「むかし、三びきのやぎがいました。なまえは、どれもがらがらどんといいました」
私が三歳だったころ、大好きだった一人遊びは「本を読んでいるふりごっこ」。字はまだ読めないのだが、一冊の絵本を丸暗記して、さも読んでいるかのように、ページをめくっていく。その遊びのおともが『三びきのやぎのがらがらどん』だった。
「これこれ、これだった。」 瀬田さんの訳の素晴らしさ
そろそろ息子にもいいかしら、と思い、本屋さんで久しぶりにこの絵本を手にした。懐かしさで胸がいっぱいになる。
大人になった目で読むと、瀬田貞二さんの訳が、いかに素晴らしい日本語であるかということに気づく。そもそも「がらがらどん」という名前が、いい。もとの名前が「GARAGARADON」であるはずがないから、訳者の創意工夫によるものだろう。いっぽう、橋の下のトロルは「トロル」のままである。得体のしれない魔物は、この得体のしれない名前のままでいいと考えられたのだなあと思う。
リズミカルで簡潔な日本語は今読んでもほれぼれする。そしてラストの呪文のような不思議な言葉。「チョキン、パチン、ストン。はなしはおしまい」・・・・・・これこれ、これだった。こういって本を閉じるときの、くすぐったいような嬉しい気持ち。これも原文が「chokin pachin suton」であるはずがないから、瀬田訳のセンスのよさが、輝いている。
大、中、小 がわかったらいいタイミング?
先日息子が、がちゃがちゃ(百円を入れて、がちゃがちゃハンドルを回すとオモチャが出てくるもの)で、カエルのマトリョーシカのようなものを出した。大、中、小のカエルを並べたり、また小のカエルをおなかに入れ、それをさらに大のおなかに入れる・・・・・・ということを飽きもせずに何度もやっている。
その様子を見ていて、もしかしたら、いいタイミングかも、と思い『三匹のやぎのがらがらどん』を出してきて読んでみた。物語にはおおきいやぎ、二ばんめのやぎ、ちいさいやぎ、が登場する。この大、中、小がわからないと、つまらないのでは、と思っていたところだった。考えすぎかもしれないが、自分にとって大事な絵本ほど、できるだけいいタイミングで出会ってほしいと思い、けっこう慎重になってしまう。
もっかい! もっかい!
息子はがらがらどんたちよりも、トロルのほうが気になるらしく「トロルのごほん」と呼んで、「もっかい! もっかい!」を繰り返している。それほど長い話ではないが、子どもが耳から聞いて全文を覚えるとなると、そうとうな道のりであることは、まちがいない。読んでやる立場になってみると、そのことが、あらためて実感される。
三歳のときに丸暗記していたということを、実は自分は、ちょっと得意に思っていた。が、それは丸暗記するまで読んでくれた母のおかげだったと、身に沁みて思う今日このごろだ。
網野武博先生の「保育マインド」に、俵万智さんと「三びきのやぎのがらがらどん」について述べられています。その中から、一部を抜粋します。
ある機会に松居直氏(福音館書店会長)のお話を伺い、・・・ここでテーマにしていること(「保育マインド」)と結びつく非常に興味あることを知ることができました。・・・松居氏は、こう述べています。
「・・・・・俵さんは三歳のとき文字をまだ読めなかったのに、『三びきのやぎのがらがらどん』の文章を一言半句違わないように語ったと書いています。それは『本を読んだつもりごっこ』だったそうです。・・・俵さんは特別な子どもではなく、これこそすべての幼児に、二歳から四歳のころに備えられている不思議な力です。そしてこの一文を読んだとき、わたくしは『子どもは言葉を覚えるのではなく、食べるのだ』と悟りました。」
・・・これこそがまさに「育てる」ことと「育つ」こととの調和に彩られた、まことに両者にとって心豊かな体験の典型ではないでしょうか。
網野武博
(在宅保育の考え方と実際 改定 ベビーシッター講座Ⅰ理論編 より)
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