「親は子を育ててきたと言うけれど 勝手に赤い畑のトマト」 俵万智さんの子育て歌集~たんぽぽの日々~より

08-16-2021

「親は子を育ててきたと言うけれど 勝手に赤い畑のトマト」 俵万智さんの子育て歌集『たんぽぽの日々』の中の一首です。畑の赤いトマトを見るたびに俵万智さんのこの歌を思い出します。そして、歌の意味を甘酸っぱく噛み締めます。
俵万智さんから子育て歌集「たんぽぽの日々」を送っていただいたのはもう10年以上前のことになります。このページを開いた時、「『育てる』というのは、子どもが育つのを手助けするという意味なんです」という俵万智さんが引用された河合隼雄先生の言葉が目に飛び込んできました。
お子さまも大きく育たれたのだろうな、と思いながら今年もこの歌を思い出しながら畑の赤いトマトを見つめています。(広報担当 Y.N)

親は子を育ててきたというけれど 勝手に赤い畑のトマト

教育にかかわる審議会で、河合隼雄先生とご一緒していた時期があった。毎回、ほんとうに示唆に富んだお話をされるので、私は委員の一人というより、聴講生のような気持ちで参加していた。
「教育っていう言葉を我々はつかっていますが、教えることのほうに比重がかかりすぎてはいませんか。育つことにも、力を注がなくては」
「そして『育てる』というのは、子どもが育つのを手助けするという意味なんです」四年間だけだが、私も高校で教鞭をとったことがある。新米教師とはいえ「教える」ことはまあ何とか出来ていたように思う(もっとも、教える技術も、きわめようと思えば果てしない)。
 が、生徒を「育て」られたか、「育つのを助け」られたか、とふり返ると、はなはだ心許ない。
 担当していた古典でいえば、古典の知識を手渡すことが「教える」だろう。そして、古典の魅力を味わってもらい、生徒がその後の人生で、古典との豊かな時間を過ごせるようにまでなれば「育てた」と言える。だめだ・・・・・たぶんそんな生徒は、一人もいなかっただろう。
 教師をしていて気になったことの一つは、保護者が、案外簡単に「育てた」「育ててきた」と口にすることだった。
 もちろん、おぎゃあと生まれてからこれまで、生活のあらゆる面倒を見ていたわけだから、そう言いたくなるのもわかる。が、その大部分は、生きる糧を「与え」、生きるノウハウを「教えて」きたのだと思う。
 子どもが、自分の人生を充実して生きていけるようになるまで、どんな手助けができるだろうか。今、私も一人の親として、自戒しながら自問している。(俵 万智)

★親の役割、それは子どもが自分の人生を自分では選び、充実して生きていくことを手助けすること。いくつになっても、遠くから子どもを見守り、どうしても必要な時にはできる範囲で手助けをする、ということなのかなあと思います。
私が水をあげているだけなのに畑のトマトは今日も赤く光っています。(広報担当 Y.N)

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